あかがねプロ野球ニュース 第105球 〜ノムさん、ありがとう〜

  • 2020.02.14 Friday
  • 23:02

プロ野球界の重鎮・野村克也さんが急逝。

球界に衝撃が走ったが、周囲のプロ野球ファンは

ただただ驚くだけだった。

今回のあかがねプロ野球ニュースは

そんな野村克也さんの球歴を振り返ります。

 

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幼少時代、貧しい生活を強いられて

歌手や俳優になろうと思っていたそうですが

赤バットの川上、青バットの大下に憧れて

野球を始める。学生時代は常に捕手で4番。

中学時代はそれなりに勝てたものの、

高校時代は2回戦止まり。故にどこからも

注目されず。顧問の先生がプロ野球のチームに

紹介状を書きまくり、唯一見に来た南海の

鶴岡監督の前で高校唯一のホームラン

(ランニングホームラン)を放った。

その後、契約金0円でテスト生として

南海に入団するも1年目は11打数無安打。

当然のことながらオフにはクビを宣告される。

しかしながら「クビになるなら南海電車に

飛び込んで自殺します」とマネージャーに

脅しを逆にかけ、転職を進められるも

しぶとくチームに残る。ちょうど捕手も

不足するという運も味方につけた。

そして、誰から送られたかはわからない

メジャーリーガーが書いた本の翻訳を

もらって当時打てなかったカーブを

投げる投手のフォームで見分けることを学ぶ。

これがいわゆるIT野球の礎になる。

その後、たゆまぬ努力で打撃に磨きをかけ

戦後初の三冠王に輝く。

捕手で52本のホームランはメジャーを

見ても並ぶもののいないすごい数字。

そして、野村さんといえばささやき戦術。

情報を得るために銀座や北新地に繰り出したとか。

そんな野村さんのささやきに振り回された

選手も多いが、王さん長嶋さんには通用せず。

特に長嶋さんは「よく知ってるね〜」と

全く意に介さず。更に惑わせようと

「フォーム乱れてる」と言ったら数回素振りして

その次の球をホームランをしたとか。

34歳の若さで南海の監督兼選手となる。

南海の最後の年には当時、愛人関係だった

沙知代婦人が球団にものすごく口出しをして

最後には首を切られてしまう。

後援会会長が「野球を取るのか女を取るのか」と

聞いた時に「女を取る」というセリフも残し

沙知代婦人を大事にしたとも。

ロッテに1年、現役最後の年は西武。

人生初の代打を送られた際にその選手が

凡退することを願ってしまい、チームが

勝つことを望まない自分の考えに嘆き

引退を決意したという。

なお、この時に使っていたヘルメットが

清原和博さんが後に使うことになる。

二人に共通していたのは頭の大きさ。

かなり大きいそうです。

解説者時代を経てヤクルト監督に就任。

明るいチームカラーのヤクルトに合うか?

とか就任直後に倒れたこともあり早々に

次期監督探しが新聞紙上に出るなど

船出はいいものではなかった。

ただ、古田敦也という自身の後継者を見つけ

育てることによりチームは強くなった。

1992年にヤクルトで初優勝。

翌年にセリーグ連覇、そして日本一に輝く。

その後は4位⇒1位⇒4位⇒1位⇒4位。

1998年のオフにヤクルトの監督を退任して

阪神の監督に就任。同一リーグの監督に

間を置かずになる異例中の異例の就任。

期待された阪神では3年連続最下位。

本当は途中で辞めたかったそうだが

契約期間は全うしてくれと言われて

3年続けたそうだ。そして、4年目の

契約をした後に沙知代婦人の脱税が発覚。

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